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【2024/05/05 05:03 】 |
旧作オンリーお疲れさまでしたまでの経路
まず例大祭のことについて、
各方面の方本当に申し訳なかったです。
自分が少し精神の方に病気を抱えていて、
それに連日の無理も祟って会場に着く前に力尽きてしまいました。
行く荷造りまでして。
「どうせ行っても駄目だろとか、行ってどうなる」とか考えてる内に
とうとう家から出れず例大祭を見送ってしまいました。

それで本日の旧作オンリーも大分調子悪くて、
朝のギリギリまで行きたくなかったし、ほとんどどこにも告知すら出してませんでした。
が、終わってみると「こんなだったら例大祭行っとけば良かった」と本当に思いました。
色々駄目だったのに色々声をかけてくれる人とか新刊出ないのに買ってくれる人とか。
あと人間不信の原因半分がツイッターだったんじゃないのかなって、
やっぱり現実(リアル)の人に会うと全然違うって、
全然喋り慣れてなくて、全然上手く喋れなかったけど、
みんな嘘じゃないかってくらい温かくて、
指摘とかも色々あったんだけど。
自分の中だけで閉じこもってるよりずっと良くて、
心に少しだけ色が付いたなと思いました。


ここまでイベントラッシュでしたがこっから2ヶ月はサークルで出す予定もありません。
サイトとかサークル名からなにから変えたり部屋を整理したりで来週は使います。
今日のイベントからこっちのブログ来て下さった方も居るのかと思いますが、
何もかもリニューアルしてここは告知用でなくあくまで雑記の本当のブログとして活用して、(もしくは移転して)
ちゃんとしたHP形式で作りたいと思います。
最近ではオンラインも表現媒体としてアリだなと思って、
今更ながら情報社会受け入れてる原始人がここにいます。


 

初心に帰る 初めて同人やろうとしたとき
「自分はいったい何がしたかったのか?」


やっぱり集中してる時のがいい作品は出来やすいんだけど。
なんにせよ自分に飽きてしまったんで、例えば線を引いてみるとか、色んな人の話に対して聞き手に回ってみたりとか、そうやって自分を崩し壊すのは必要かもしれない
面白いこと考えている人はたくさん居るのだから耳を開くだけで(眼下の)世界はいくらでも広がる。
そして自分の腹の声を聴く。なんだかんだ思考で塗り固めても僕は感情馬鹿の人間だし。本気で作品を作ってる時、僕は「泣かせたい」としか思ってない。それが原動力だし、目的だし。コメディーやユニークはきっと他の作家さんが提供してくれると信じてる

そこで自分の作品が自分本位に成ってると気付いた。それはもちろん悪いことじゃないけど、限界を身をもって体験して自分がつらくなってしまったらそれ以上はやれないんだと思った。つらいと感じてしまうのだ。(その辺は料理を自分で食べるために作るか、皆で食べるために作るかとも似ている、というかそのまんま。)
野心でひたすら部数を上げるためにウケるスタイルを求めるのも(同人→趣味では)間違ってるし、ひたすら究極な自己満足を求め続けても気付いたら大事なことを見失ってる。全ての人間を愛するわけでなく、ただふと感じてしまう人に手を差し延べるように提供するのが自分の生き甲斐に成れば良いと思う
深澤さんが言ってたことで自分のつっかかるとこがあって、メモリーをつつくようなモノが良くてノスタリズムに走ると駄目だと。仕事(売り上げ数)じゃその通りだと思う。ただ、自分はノスタルジックの塊のような人間で、限定された中で価値を見出だす。だけど個人で持ってるだけのノスタルジックでは結局自分しか(すら)満足しない。メモリーの中にある部分的な要素の中のノスタルジックをつつくようなモノを作ることで自分は良い。それならば自分はメモリーへ繋ぐためのあくまで水面に石を投げるだけだとも頷ける。
自分のこの世で一番尊敬する人は光田さんで。やっぱり光田さんも専門時代「技術を学んだのではなく音楽とどう生きて行くかを学んだ」というし、森本さんの「技術よりそれ以前に必須なものがある」というのも今ならわかる。レベルが足りないと言うけど単に技術なのか、それとも視野のこととか心掛けのことなのか?色々全部含めて「レベル」って言うんだろうし、足りないんだとも思う。

あとはメモリーのこととかで言うと聖剣2の時の菊田さんが「自分のは表現でなく共有だ」と言うのが正にその通りだと思う。今日の帰り合同+誌・サークルとかの話とかで正にそれは共有出来て初めて成り立つものだと思う。じゃあどうすれば共有かというと経験デザインだったり、人と一緒に居ての観察だったり

後は生活のことでも。
「人に迷惑をかけちゃいけません。ルールですから」っていうのはもはや自分にとってそんな価値観は到底持ち合わせることは出来無いのだと悟った。
自分がされたらじゃないんだけど。自分が相手にさしたら相手はどう思うか?
自分を軸に起こす現象が相手にどういう心理的変化を与えるか考えるのは自分にとってもトレーニングに成るし、
相手に与えたものがマイナスなら自分自身まるでそれをされたかのようにダメージを負う。


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【2011/05/22 22:45 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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